水戸街道 (七) 取手宿~藤代宿~佐貫駅 [水戸街道]
平成24年10月11日(木) 取手駅東口10時集合 参加者33名
文巻橋を渡って小貝川の土手を歩く
取手宿(八坂神社)—–吉田八幡神社—–取手市役所藤代庁舎(昼食)12:20 ~13:00—-
藤代宿(相馬神社・本陣跡)—–熊野神社—–文巻橋—–慈眼院—–道標・道標碑—–佐貫駅(解散)15:10
10:10 取手駅出発
八坂神社 寛永3年(1626)創建 取手宿の産土神 御祭神は素戔嗚尊 拝殿は天保3年(1823)建築 本殿は明治39年(1906)建築 名工後藤縫殿之助親子他による彫刻が秀逸
利根川の土手にぶつかる手前 旧水戸街道は斜め左に入る 吉田八幡神社
筑波山を望む 田んぼの中の真っ直ぐな一本道 1時間以上....
樹齢200年以上のサイカチ 新しい道標の側面には「江戸与利 十里二十二丁」
「水戸与利十八里十八丁」とあり まだまだ先は遠い
12:20 旧藤代町役場
(現在の取手市役所藤代庁舎)
お待たせしました!(^^)!
ランチ休憩
坂本呉服店 小説家の住井すゑさんが 住んでいた牛久から通ったという 枡形の角に建つ老舗
相馬神社 相馬は古くからこの辺りの地域名 律令制度の頃からの郡名でもあった
藤代宿本陣跡(取手市藤代公民館) 旧街道宿場の風情を残す民家
本陣は昭和30年(1955年)町村合併による
庁舎建設のために取り壊された
玄関前にあった百日紅と老松だけが残り往時を語っている
熊野神社 一般的に藤代宿といわれているが 水戸側は宮和田宿と続いていた
熊野神社は 小貝川沿いにあり 慈眼院方面に 宮和田の渡し があった
現在は 文巻橋で 小貝川をわたる... 慈眼院 平貞盛によって建立された観音堂が起源と
伝わる。現在の堂宇は貞享2年(1685年)再建
牛久沼排水機場(利根川増水時の支流への逆流を防ぐためのもの)見える小公園で休憩
水神社 このあたりは
水害の多いところだった
ようで それにちなんだ
石碑なども多い
14:55 旧水戸街道は我孫子から私たちがたどってきた道のほか 利根川を下り布川を通る道があり
ここで合流した(馴芝小学校角) 道標には 水戸十六里、江戸十三里、布川三里と刻まれている
このあと 若柴宿と 佐貫駅までの分岐まで歩き 駅で 解散しました
写真は 下見(5月31日)と本番の時の物と 両方使っています
水戸街道 (六) 我孫子宿~取手宿 [水戸街道]
平成24年9月7日(金) 我孫子駅南口10時集合 参加者35名
旧取手宿本陣染野家住宅
我孫子駅10:15 --- 成田道分岐 --- 柴崎神社・円福寺・東源寺 --- 柴崎第二公園 (昼食)11:50~12:20 --- 大利根橋 --- 取手宿本陣 --- 奈良漬の新六・田中酒造 --- 長禅寺 --- 取手駅14:50
割烹旅館 角松屋本店 明治天皇の行在所にもなった(江戸時代には「松島楼」と呼ばれた旅籠)
我孫子宿脇本陣小熊家
本陣跡の碑があるのみ 鈴木屋 明治12年創業 元旅館なのか現役なのか??
今はお弁当中心の割烹のようです
成田街道分岐
4/7の下見の時には 青面金剛の道標等の文字が
読めたのですが 夏草に覆われ(--〆)
一番大きい石碑の正面に 『右成田道』とか 道路の拡幅等で ここに集められたのでしょうが 倒れた物もあり
いくつあるのかわかりません
関東の二大スター 日本武尊と平将門 所縁の柴崎神社
東源寺 榧(マガヤ) 県指定天然記念物
水戸まで 73km。。 まだまだですね 遠くに筑波山が見えます
けっこう 流れていますネ
橋がかかる前は 青山の渡しで 取手宿に向かいました
旧取手宿本陣染野家住宅 金土日のみ公開されます
左 奈良漬の新六 そして右が 君萬代の田中酒造
これから ビールの試飲で~す
写真は 下見(4月7日)と本番の時の物と 両方使っています
すっかり ブログ更新怠けていたので 水戸街道 いきなり(一)から(六)です
(六)から(一)まで 遡って行く予定です (おいおいに “f(^□^;)
よろしくお願いします
水戸街道 (一) 日本橋~北千住① [水戸街道]
Oリーダーに協力するかたちで 2月から 水戸街道を歩くことになりました
1回目は 日本橋から北千住までですので 本来は日光街道にあたります
でも 街道歩きは 日本橋から始めたいということで 39名の老若男女が歩き始めました^^
日本橋という字は 水戸家出身の徳川慶喜さんによる 旧東京市道路元標 両側に道路中央に埋め込まれた
ものだそうです 道路元標のレプリカ、里程標があります
日本橋から YUITOの角を曲がった 日本橋本町通りが 旧日光街道となります(江戸通りより2つ手前)
昭和通りを 地下道で渡ると 伝馬町本通りと 通りの名前が変わります
小津和紙 伊勢商人の小津清左衛門長弘が、承応2年(1653)この場所に 紙問屋を開いたのが始まりです
中に資料館もあります
この碑がなかったら....目印のホテルが無くなっていましたが 向かい側が 江戸屋さん 享保3年(1718)創業の刷毛ブラシ屋さんでした 日本橋は老舗だらけですねぇ
伝馬町処刑場跡
伝馬町牢屋敷跡 松陰先生終焉の地(碑) ここで処刑され 小塚原に葬られましたが
高杉晋作ら門弟たちが世田谷の現松陰神社の地に 改葬したそうです
神田川 浅草橋から柳橋方面 江戸の頃より船宿の多い処だとか
バンダイ本社 ショールーム
駒形どぜうの笠懸大根は この時季 の風物になっているようですが 由来は....ないようです
駒形橋からの スカイツリーがいいよって 聞いたのですが 西詰の交差点から
駒形堂が ’ひっそり’ になってしまいました
浅草寺 海外の観光客も 11月に下見で来た時より だいぶ増えたミタイでした
よかった
写真は 下見(11月28日)と本番の時の物と 両方使っています
1回目は 日本橋から北千住までですので 本来は日光街道にあたります
でも 街道歩きは 日本橋から始めたいということで 39名の老若男女が歩き始めました^^
平成24年2月2日(木)
日本橋10:30 .... 伝馬町牢屋敷跡11:00 .... 浅草橋11:30 .... 浅草寺12:00 ②に続く
日本橋という字は 水戸家出身の徳川慶喜さんによる 旧東京市道路元標 両側に道路中央に埋め込まれた
ものだそうです 道路元標のレプリカ、里程標があります
日本橋から YUITOの角を曲がった 日本橋本町通りが 旧日光街道となります(江戸通りより2つ手前)
昭和通りを 地下道で渡ると 伝馬町本通りと 通りの名前が変わります
小津和紙 伊勢商人の小津清左衛門長弘が、承応2年(1653)この場所に 紙問屋を開いたのが始まりです
中に資料館もあります
この碑がなかったら....目印のホテルが無くなっていましたが 向かい側が 江戸屋さん 享保3年(1718)創業の刷毛ブラシ屋さんでした 日本橋は老舗だらけですねぇ
伝馬町処刑場跡
伝馬町牢屋敷跡 松陰先生終焉の地(碑) ここで処刑され 小塚原に葬られましたが
高杉晋作ら門弟たちが世田谷の現松陰神社の地に 改葬したそうです
神田川 浅草橋から柳橋方面 江戸の頃より船宿の多い処だとか
バンダイ本社 ショールーム
駒形どぜうの笠懸大根は この時季 の風物になっているようですが 由来は....ないようです
駒形橋からの スカイツリーがいいよって 聞いたのですが 西詰の交差点から
駒形堂が ’ひっそり’ になってしまいました
浅草寺 海外の観光客も 11月に下見で来た時より だいぶ増えたミタイでした
よかった
写真は 下見(11月28日)と本番の時の物と 両方使っています